【解説書の一部】 奄美しまうたの神髄
「しまうた」とは自分の「ふるさとのうた」を意味する。
奄美における「しま」という言葉は、必ずしもアイランドを意味しない。ふるさと、郷土、出身地などを指していう場合が多い。従って、「しまうた」という時、奄美大島のうたという総称の意味もあるが、より比重が置かれるのは、自分の村(集落)のうたということである。つまり、あるゆる「しまじま」(村々)に、その「しま」独自の歌がある。これらは、その地勢や人情風俗によって微妙な違いを見せる。
このように、各「しま」ごとに歌われるが、大きく分けると、奄美本島では笠利節と東節という二つの流れになる。笠利を中心とする奄美本島北部地方は、平野が多くのびやかな地勢を成している。それに見合って、笠利節は平明さと荘重さを特徴とする。一方、南大島地方は山岳が多く地勢は険しい。ここで歌われるのは、節回しの変化にも富んだ情緒てんめんたる歌である。
「しまうた」には様々な種類がある。
しまうたとひとくちにいっても、その内容にはさまざまな種類がある。これを大きく分けると、遊びうたと祝典や教訓のうたということになる。
祝いうたは、さまざまな祭り、行事の際に歌われるものである。その代表的なものが正月歌と年日祝いの歌である。正月歌は、いうまでもなく新年を迎えるめでたさを寿ぐものである。年日祝いは、十三歳から始まって、二十五、三十七、四十九、六十一、七十三、八十五歳に当たった時に祝うのである。ここで歌われるのは、長寿を願い、一家の繁栄を祈りながら、親子の情愛を歌い上げる。
婚礼歌や教訓歌、恋愛歌などがある。
婚礼歌もまた祝いうたのうちに入る。婚礼には、いろいろと式次第があるが、その式次第ごとに歌われるうたが決まっている。ほかに出産祝いの歌といったものもある。教訓歌は、文字通り、人生上の教訓を歌にしたものである。もともとは、儒教の影響を強く受けて出来た琉歌の中の教訓歌が始まりだという。そのような琉球教訓歌がそのまま歌われたものもあるが、しまうた独自の教訓歌もある。教育などというものの行きわたらない時代に、この教訓歌は、無二の教育手段であった。遊びうたは、先にも触れた「うた遊び」で歌われるうたの総称である。これは、恋愛歌が非常に多いのが特色である。しかも、実話や伝説に基づいた、固有の人名の登場する物語歌が多い。ほかに、生活苦や世上の噂話をうたにしたものも多い。
「しまうた」は総じて、身近な出来事や情感の動きを歌うものが多い。
総じてしまうたは、身近な出来事、情感の動きを歌うもので、英雄豪傑や戦争の話は出てこない。また、藩政の圧制下で、露骨に直接苛政を怨むうたもなくはない。が、哀調切々たる響きそのものが、言わず語らずのうちに悲惨な生活を訴えている。そこにもしまうたの特徴の一つがある。

戻 る