【ここに掲載の翻訳文、訳詞の転用は許可されません。ただし、個人の楽しみでプリントアウトするのは構いません】
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【マスコミ評】
トゥバ音楽が脳に沁みわたり、やがて身体中に広がっていく。
馬の蹄(ひづめ)の跡のように、それがいつまでも残るのだ。<サンフランシスコ・ベイ・ガーディアン>
素朴な喜びと何のまじりけもない純粋な感情がほとばしるように溢れ出てくる。<ジャズ・タイムズ>
今までに体験したことのない異次元のサウンドだ。しかし不思議なことに、どこか懐かしさがある。
日常を越えた精神世界を感じさせるのだ。そのルーツは自然界の音に深く根ざしている。<シカゴ・トリビューン>
| 3rd album IF
I'D BEEN BORN AN EAGLE (鷲に生まれたら) CDジャケット解説書の和訳 |
| オランダ北部フリースラントにある小さなレコーディング・スタジオ。フーン・フール・トゥはヨーロッパ公演の途中であったが、ここで今回のアルバムのレコーディングをしていた。そんな忙しいなか時間を割いてくれた。遠いトゥバからやってきたが、吹きさらしの牧草地と大地の恵みで育った牛や羊、フリージァン種の馬の群れといった土地柄は彼らをすっかりリラックスさせたようだ。トゥバ・ミュージックは土地にしっかりと根を張って生まれた音楽なのだ。スタジオでエネルギーを出し尽くして演奏するには、この土地柄が何よりもプラスになったに違いない。時間をかけてミキシングを終え、夜も更けた頃だった。フーン・フール・トゥの4人のメンバーが集まってくれた。そして、今の自分たちの音楽についてじっくりと語ってくれた。そのときのインタビューから抜粋した内容になっている。<インタビュア=テッド・レビン> この2年間でメロディの装飾的な使い方を学んだ。 テッド:前作のセカンド・アルバム「オルファンズ・ラメント」から2年が経っていますが、どのように音楽性が変わったのでしょうか。 HHT:かなり良くなっていると思うよ。この2年間、いろいろと面白い発見があったんだ。去年の秋には遠出をしてトゥバのあちこちを回り、年老いた歌い手に会って彼らの歌を録音させてもらったんだ。彼らからは微妙なニュアンスの違い、特にメロディの装飾的な使い方を学んだよ。これまでのフーン・フール・トゥの持ち味にはなかった音楽性なんだ。 みんながよく知っているトゥバの民族音楽を独自なものにアレンジした。 テッド:今回のレコーディングで演奏したトゥバのコンテンポラリー・ソングについて聞かせてください。 HHT:過去30年間に作られ、今でもよく歌われている曲。ラジオでも流れているし、子供たちも歌っている。今回のアルバムでは、そんな曲を選んだ。ホーメイを聞いただけでトゥバの音楽のことがわかるとは思っていないけど、とにかくみんながよく知っている曲にしたのさ。何曲かはハーモニーで歌っている。このタイプの歌は確かにロシアの影響があって生まれたものだけど、もうすでにトゥバの民族音楽になっている。 ロシア音楽とトゥバ音楽は、驚くほど類似点がある。 HHT(つづき):ロシア音楽とトゥバ音楽の昔に遡る古い接点を探している。去年のことなんだけど、セルゲイ(Sergei Starostin)に会ったんだ。彼はとても感性の優れたミュージシャンなんだ。本当にすばらしいよ。これまでにたくさんの村で生活した経験があり、民族音楽をよく理解している。セルゲイと演奏してみてわかったんだが、ロシア音楽とトゥバ音楽の間には驚くほど類似点があるんだ。たとえば、shoorという楽器だ。最近までトDバでよく演奏されていた木製フルートのことなんだけど(現在ではもうshoorの演奏家はいない)。この楽器はロシアの村に伝わる木製のkaliukaというフルートにそっくりなのさ。今回のレコーディングでは、セルゲイがこのkaliukaを吹いてくれた。 録音技術が発達する前の古いトゥバ音楽を素材にした。 HHT(つづき):古典から現代まで、トゥバ音楽のそれぞれの時代の個性を出してみようと考えたんだ。トゥバ音楽がフルートで演奏されると、また違った雰囲気に聞こえる。同じ曲でも違う表情を見せてくれる。カルギラー(kargyraa)にshoorの伴奏が加わると、双方に関連性のあることがわかる。面白いことに、カルギラーの高い方のメロディがshoorの音色のように響く。このような演奏スタイルを模索しているが、伝統に背を向けている訳ではない。自分たちよりも前の世代の素材を取り入れているだけなんだ。録音技術が発達する前の時代の音楽だから想像するしかないんだ。 動物といっしょに生活していた時代は音楽もその影響を受けていた。 HHT(つづき):ひとつ例をあげてみよう。馬はとてもリズミカルな動物だ。いつも馬の近くで生活している人間は馬のリズムを自然に身につけてしまう。馬のリズムにはハーモニーだってあるんだ。馬に乗る人びとは、この馬のリズムを身体で吸収しているから、彼らの音楽を聞くと馬のリズムの影響が感じ取れる。メトロノームのような一定のリズムではなく、もっと生き生きとした音楽になる。リズムが途中で変化したり、フレーズの長さが変わったりする。長く続いても単調なフレーズになることはない。歌い手の息の長さでメロディーが変わってくる。自分の感じるままに音符を引き延ばしてもいいのだ。 昔はこんなふうに演奏されただろうという方法を採用した。 HHT(つづき):フーン・フール・トゥの場合、フレーズの長さは歌い手の感性で変わる。曲の形式が決まっていてもその通りに守るということはない。ドシプルール(doshpuluur)の奏法では、最近のトゥバ音楽とは違っている。ドシプルールは主にホーメイの伴奏に使われているが、昔はきっとこんなふうに演奏されただろうという方法を採用している。つまり、馬を連想させるような音だ。昔はリズミカルに演奏されたり、ソロ楽器として演奏されたり、ハーモニーだってあったはずだ。今回のアルバムでは、その昔の音を再現しようと思ったんだ。 |
| 3rdアルバム「IF I'D BEEN BORN AN EAGLE(鷲に生まれたら)」の和訳 | |
2曲目「鶴を脅かさないで」の一部和訳 鶴を脅かさないで 沼地の美しい宝石よ 優しい心を持つ 私の鶴を邪魔しないで 【注釈】 「トゥバ〜中央アジアからの歌声」の30曲目と同じオルティンドー。 歌詞の内容はよく似ているが、まったく同じというわけではない。 口承で伝えらるため、少しずつ異なるトゥバの歌の特性がよくわかって面白い。 |
4曲目「サマガルタイ」の一部和訳 生まれ故郷のサマガルタイは 絹の飾りのように美しい けれど知らない人にとっては 埃っぽい町に見えるだけだろう |
| 5曲目「夜がやってくる、夕暮れがやってくる」 の一部和訳 闇夜が迫ってくる 夜がやってくる 道の始まるあたりには 誰もいなくなるだろう 道が砂漠のようになり 人気がなくなっても気にしない 真ん中の大切な娘が 独りぼっちになっても気にしない |
7曲目「バイ・タイガ」 高くそびえる私の山脈 バイ・タイガ 足許にタイガが広がる 私のタイガ おまえのおかげで 山脈のふもとの草原に 豊かな実りがもたらされる 【注釈】 タイガは、針葉樹の森 |
| 9曲目「私の山脈」について この歌は、 Rastislav Kendenbilの作曲とある。 この人物は、トゥバでは有名なポピュラー音楽の作曲家。 ノボシビルスク・コンセルヴァトワールの卒業生で、 ソ連作曲家連盟トゥバ支部のメンバーでもある。 伝統音楽ではなく、現代の音楽を取り上げているのは珍しい。 また、ゲスト・アーティストのGerman Popovが shooという楽器を演奏している。 現代のトゥバでは失われた楽器である。 Germanは、ロシア人だがファミリー・ルーツはトルコである。 トルコ人やバシキール人ミュージシャンの演奏を 見よう見まねで覚えたとある。 |
11曲目「ダングゥーナ(王女)」の一部和訳 王女よ、王女よ トゥバの山脈の美しさ すべてを宿している 太古の昔から トゥバの男たちを従えてきた 愛する姫よ 私を狂おしくさせる星よ |
| 15曲目「淋しい男の歌」の一部和訳 もし私がひとりぼっちなら 私は鷲になりたい もし鷲に生まれたら エーンネの静かな崖に巣を作ろう 【注釈】 アルバムタイトル「鷲に生まれたら」のもと歌。 |
16曲目「私たちが権利を手にしたとき」 の一部和訳 トゥバは大いに発展した それはまるで高くそびえるサヤン山脈のようだ 私の大志は燃えるように熱い それはまるで明るく輝くランプのようだ 【注釈】 旧ソ連初期の歌、古いメロディーにのせて歌う。 |
| 2nd
album The Orphan's Lament (孤児の哀しみ) CDジャケット解説書の和訳 |
| 「最近は欧米でトゥバ音楽の人気が高まっていますね。なぜだと思いますか」。私の質問にサヤン・バパ(Sayan
Bapa)は考え込んでいた。モスクワ中心部の公園で半分壊れたベンチに腰をおろしていたときのことだった。サヤン(Sayan)とカイガルオール・ホバルィク(Kaigal-ool
Khovalyg)は、フーン・フール・トゥの2枚目のアルバム「オルファンズ・ラメント」のための曲(「7曲目に収録の「Steppe」と10曲目に収録の「Exile's
Song」)をレコーディングするためにモスクワを訪れていた。<インタビュア=テッド・レビン> 古い曲を聴くのは初めて、という若者の大勢がCDを聴いてくれる。 サヤン:トゥバ音楽にはどことなく真実味があって、それで親しみやすいのじゃないかな。誰にでも共感できる飾り気のない自然さや誠実さがあるからだと思うね。だけど、フーン・フール・トゥの音楽は欧米だけで関心が高まっている訳じゃないさ。トゥバでも同じように人気があり、CDを聴いてくれる。友人や他のミュージシャンにCDを配ったんだけど、反応がすごく良かった。古い曲を聴くのは初めてという若者の大勢が聴いてくれる。フーン・フール・トゥが蘇らせた伝統に、みんなが関心を示してくれる。そのことをとても誇りに思っているんだ。 一人ひとり自分のやり方でメロディを演奏することが伝統だった。 サヤン(つづき):先祖を敬う心こそ、フーン・フール・トゥの音楽の重要なテーマなんだ。そんな歌を探してトゥバ中を歩いている。もうだいぶ前のことだけど、本で読んだことがあるんだ。男たちが集まって音楽を奏でるとき、フーン・フール・トゥが弾いているのと同じような曲を即興で創り出す。当時の伝統は、一人ひとりが自分のやり方でメロディを演奏することだった。もちろん、昔の音楽がどんなものだったのかは実際に見たわけじゃないけどね。伝統的な音楽はどんなものだったのか、どんなふうに産み出されたのか、今度の曲はそういった知識を手探りしながら即興で作ったものなんだ。 フレームドラムを使ったことで、独特のメロディとリズムが生まれた。 サヤン(つづき):現代の音楽のほとんどはリズムが早くなっているけど、もっとゆったりとした昔のリズムへ戻ろうと試みているんだ。自分たちの感情を歌い上げるのにぴったりな演奏スタイルを創り出そうと工夫している。だからといって、因習や伝統に縛られているわけではないんだ。たとえばフレームドラムだけど、独自のスタイルで加えてみたんだ(この楽器はシャーマンの祭式に使われたもので、楽器演奏や感情を込めた歌の伴奏には使われてこなかった)。この楽器を取り入れたことで倍音の領域が広がり、独特のメロディとリズムが生まれた。雄牛の睾丸と羊の膝の関節の骨を使ったガラガラのような楽器も伝統的なものだ。トゥバでは雄牛の睾丸を塩入れに使うが、それに羊の骨を入れてみた。ギターも弾いているけど、これはもちろんトゥバの民族楽器じゃないよ。 トゥバ音楽は、音色を聴く音楽なんだ。 サヤン(つづき):トゥバ音楽の基本となるのは、どんな場合でも音色なんだ。トゥバ音楽は音色を聴く音楽といえる。楽器やスタイルはいろいろとあるけれど、鳥や馬やカラス、狼、その他の自然の音を真似た音は、すべて音色の性質から生まれたものなんだ。このような音色の音楽を聴くことは、いろいろなニュアンスの違いを聴くことになる。このこともたぶん、フーン・フール・トゥの音楽が関心を集めている理由のひとつではないだろうか。トゥバでも欧米でもリスナーの多くが電気音楽に飽き始めている。違ったタイプの音楽を求めているということなんだ。フーン・フール・トゥは自分たちと過去をつなぐ音楽、そして未来につながる音楽をやっているのさ。 テッド:そうなんでしょうね。伝統とはきっと、そういうものなのでしょう。 |
タイトル曲「The Orphant's
Lament(孤児の哀しみ)」の和訳
僕は独りぼっちの孤児(みなしご)さ
生まれてすぐに死んでいたなら
生まれてすぐに死んでいたなら
こんな不幸には合わなかった
僕は独りぼっちの孤児(みなしご)さ
赤ん坊のときに死んでいたなら
赤ん坊のときに死んでいたなら
いっそ生まれてこなかったなら
こんな不幸には合わなかった
破れた巣から落っこちた
かわいそうな小鳥さ
母親から捨てられてしまった
かわいそうな赤ん坊さ
この哀しい運命を
誰も変えることはできない
母親が死ぬ間際になって
訪ねてきてくれたとしても
幸せになることはできない
【注釈】
トゥバの民話では、孤児は重要な登場人物となっている。孤独な人間の象徴として表現され、愛情や家族の絆の大切さを教えてくれる。たくさんの家畜を飼っていても、金銭に不自由していなくても、親と離れて暮らす人間(=孤児)こそが、この世で最も不幸とされている。
| 1st album 60
Horses In my Herd (私が飼っている60頭の馬) CDジャケット解説書の和訳 |
| フーン・フール・トゥが新作のハリウッド映画「ジェロニモ」(アパッチ族の酋長の物語)のサントラ盤のレコーディングを終え、ロサンゼルスからトゥバへ戻ったすぐあとのことだ。この原稿を書こうと机に向かったときにふと、彼らに大事な質問をするばずだったことに気付いた。それはフーン・フール・トゥのグループ名についてだ。トゥバ語で何を意味するのか、なぜその名前に決めたのか、という質問を忘れてしまったのだ。受話器を取ってトゥバの首都キジルに電話をかけた。電話はほんの数秒でつながり、メンバーのアレキサンダー・バパ(Alexander
Bapa)がでた。彼はフーン・フール・トゥのパーカッショニストだ。コンチと呼ばれる巻き貝や儀式に使う山羊革で作られた巨大なドラム、それに雄牛の睾丸の中に羊のくるぶしの骨を入れたガラガラのような楽器などを使いこなす。アレキサンダーはニューヨークとキジル(クズル=トゥバの首都)を結ぶ電話で、フーン・フール・トゥの意味を説明してくれた。<インタビュア=テッド・レビン> グループ名、フーン・フール・トゥの意味。 アレキサンダー:フーン・フール・トゥとは、朝焼けや夕焼けのときに大草原の空に見られる現象で、光線が縦に幾重にも分離する様子をいうんだよ。トゥバ人は自分たちの住む広々とした大地をフーン・フール・トゥとも呼んでいる。美しい光に対する畏敬の念からそう呼ぶのさ。グループ名にこの言葉を使ったのは、自分たちの音楽がこうした自然の大地に根ざしたものだからなんだ。大草原の空に広がる光線は、ホーメイの声が分離する様子と通じるものがあるからなのさ。ただホーメイのほうは光でなく、音が分離するのだけどね。 1987年当時、トゥバはまだ外国人の立入を禁止していた。 テッド(解説):私が初めてトゥバを訪れたのは1987年だった。その当時はキジル(クズル)に電話をかけることなど考えもつかなかった。そこに住んでいる誰かの電話番号を知っていたとしても、そこの人間に電話をかけるなんてとんでもない非常識といった時代だった。トゥバは表向き外国人の立入を禁止していたので、一部の熱狂的なホーメイ・ファンのあいだでは伝説の地として知られていた。 トゥバは長いあいだ外交的に隔絶された秘境の地だった。 テッド(解説つづき):ホーメイは一人の歌い手が二つ、ときには三つの違う音程で同時に歌う歌唱法で、声に含まれる倍音のいくつかを増幅して発声するものだ。ホーメイの愛好家にとって、その魅力の理由のひとつは神秘の国トゥバそのものにあるといってもよい。トゥバはシベリア南方に位置するソ連領の狭い土地で、外交的には隔絶された土地だった。探検家や研究者、商人、軍隊はこの数100年のあいだにアジアのどんな奥地にも入って行ったが、その彼らでさえもまったく足を踏み入れたことのない土地だった。四方を山脈と砂漠に囲まれ、そのうえ深いタイガの森に閉ざされ、シベリアの原住民の末裔たちがトナカイを放牧して暮らしていた。トゥバは秘境の地だったのだ。 フーン・フール・トゥは、トゥバが世界とのつながりを深める中で生まれた。 テッド(解説つづき):ここ数年のあいだで、トゥバを長年に渡って孤立させてきた政治的あるいは文化的な障壁が崩壊した。1987年に訪れたとき、役人たちは外国人にアレルギーで、私たちが現地入りする前に街全体のペンキの塗り替えを指示したくらいだ。ミュージシャンは素人で、レコーディングする曲の準備に1週間もかかったのだ。その頃から比べると様相はがらりと変わっている。トゥバの人びとは自分たちの文化や自然に興味津々の外国人に好意的になった。自分たちの非凡な音楽をもっとさまざまな国のたくさんの観客を前にして演奏しようと活動の範囲を広げてきた。フーン・フール・トゥは、トゥバが世界とのつながりを深める中で生まれたグループなのだ。 1992年、フーン・フール・トゥは「忘れられた古い歌」を演奏するために結成された。 テッド(解説つづき):アレキサンダー・バパ(Alexander Bapa)とその兄弟のサヤン・バパ(Sayan Bapa)、それにカイガルオール・ホバルィク(Kaigal-ool Khovalyg)、アルベルト・クヴェジン(Albert Kuvezin)が集まって、グループは1992年に結成された。アレキサンダーの言葉によれば、「忘れられた古い歌」を演奏するためにフーン・フール・トゥは結成されたのだ。アレキサンダー、サヤン、カイガルオールは、もともと国の主宰する歌と踊りを披露する大楽団に所属していた。旧ソ連時代は公式な文化使節団として活躍していた楽団だ。伝統音楽で生活の糧を得ようとする若いミュージシャンにとっては何十年ものあいだ、このような楽団で民族音楽や民族音楽まがいの曲を演奏することが唯一の選択肢だった。ところが、音楽産業は旧ソビエト時代に急速に民営化していった。ミュージシャンたちは国の主宰する楽団を次々に抜けて自分たちのグループを結成した。その結果として、音楽は大いに多様化したのだ。 今では誰も歌っていないような古い曲を再発見している。 アレキサンダー:最近のトゥバの音楽にはひどいものがたくさんあるよ。アメリカのメロディにトゥバ語の歌詞をつけて、トゥバ音楽と言っているのもある。若者のなかにはシンセサイザーやドラムセットやギターを何台か外国で買い込んできて、ホーメイに合わせてガンガン演奏するなんてこともあるんだ。そんなやり方で活動するつもりはないね。今では誰も歌っていないような古い曲をこれまでに再発見してきた。そういう曲を年寄りから教わるのだ。トゥバの革命歌「インターナショナル」を歌うことだってある。トゥバが独立共和国(タンナ・トゥバ=Tanna Tuvaと呼んでいる)になった1930年代の歌だ。歌詞はロシア語だけど、メロディはトゥバの民族音楽なんだ。ソビエトの支配下にあっても、トゥバ人はトゥバ人であることをやめなかった。 伝統的な音楽では、アンサンブルという演奏方法はなかった。 アレキサンダー(つづき):フーン・フール・トゥのメンバーは古い歌詞や曲を熱心に吸収してきたんだ。それらの音楽はただ伝統的なだけでなく革新的なパワーだってある。たとえば、フーン・フール・トゥがやっているアンサンブルという演奏方法だけど、トゥバではまったく新しいことなのだ。伝統的なトゥバ音楽はソロの歌手やソロの楽器奏者が演奏する。ミュージシャンは決まったジャンルや音楽のスタイルを守る傾向がある。この音楽のジャンルやスタイルの元を辿れば、それぞれが独自の社会背景に基づいていることがわかる。ところがフーン・フール・トゥのコンサートは、古くから伝わる曲やトゥバのそれぞれの時代の曲を織り交ぜて折衷的に演奏してみせる。 フーン・フール・トゥは伝統音楽を復活させ、それを未来へ発展させる。 アレキサンダー(つづき):トゥバには演奏するための十分な環境がまだないんだ。だからトゥバで演奏することはほとんどないのさ。なぜって、フーン・フール・トゥのような独立系のグループがやっていくには非常に難しいんだ。設備の整ったホールや音響器材は見つからないし、目的地に行くための交通手段も整備されていない。公演のほとんどは政府や民間の業者が仕切っていて、彼らと交渉するのは簡単でないのだ。プロのミュージシャンだからといって、誰かが演奏料を多少でも支払ってくれるという期待もできない。リーダーのカイガルオール・ホバルィクは、今じゃトゥバよりもアメリカの方がよく知られているかもしれないね。フーン・フール・トゥは音楽の遺産を保存し、同時にその将来についても考えているんだ。もしこれまでの音楽の伝統を失って発展の道が途絶えてしまえば、あとは死に絶えていくしかないからね。 |