| 【解説書の一部】 レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970 |
| アルトル・ピアソラの経歴 アストル・ピアソラは1921年アルゼンチンのマル・デル・プラタに生まれ、4歳頃ニューヨークに移住、アルゼンチンに帰ってくるのは15歳の時。その間にタンゴの象徴バンドネオンと出会っていたが、ニューヨークにいる間にはあまりタンゴに興味がもてなかった。ほどなくラジオから流れてきたエルビーノ・バルダーロ六重奏団を聞いて感激し、タンゴ演奏に専心、ブエノスアイレスに上京する。 最も充実した演奏を繰り広げていた1970年代のライブ演奏。 「そんなピアソラが生涯に残したアルバムは各国・各社にわたり、自己名義のものだけでも軽く100点を超える。ピアソラの死後も未発表録音などが次々復刻されているので、その数は増える一方である。その中でも本集はピアソラ自身が最も理想的な編成と評し、実際どの編成よりも長期にわたって活動したキンテート(五重奏団)が最も充実した演奏を繰り広げていた1970年のコンサートをライヴ録音したものである。初めからライヴ・アルバムを取る目的で行われた録音としてはアルゼンチン・タンゴ界初の試みだったという。ちょっと遅い気もするが、タンゴで最初にライヴの熱気を伝えることが重視されるような音楽をやっていたのはピアソラだったのだ。 録音は1970年5月19日、ブエノスアイレスのレジーナ劇場で行われた。1969年末から半年にわたるロング・リサイタルの終わり近く、5人のコンビネーションも最高潮になった頃である。 ピアソラと絶妙のコンビネーションを見せる五重奏団メンバー アントニオ・アグリ(バイオリン、1932〜):ピアソラとは1962年から1976年まで行動を共にした。「ピアソラと弾くために生まれてきた」とも言われる彼のバイオリンはこの時期のピアソラ・サウンドには欠かせないものである。 オスバルド・マンシ(ピアノ、1925〜76):やや活動は不安定だったが、タンゴくさい深い根を持ったピアノが弾ける貴重な存在。オスバルド・プグリエーセ楽団でプグリエーセの代わりにピアノを弾いたこともあった。ピアソラとはこの時期断続的に共演していた。 カチョ・ティラオ(ギター、1941〜):アルゼンチン有数のギター・ソロイストで、独奏のレコードも数多い。ピアソラのレギュラー・グループに参加したのはこの時期だけだった。 エンリケ・“キチョ”・ディアス(コントラバス、1918〜1992):アルゼンチン・タンゴ史上最高のコントラバス奏者の一人。ピアソラとはトロイロ楽団で同僚だったこともあり、たびたび共演した。 |