【解説書の一部】 智化寺の残照/中国最古の仏教音楽
中国の古代の音楽を蘇らせる試みが繰り返されてきた。
中国には、「礼失求諸野」という古い言葉がある。或は二千年前の人たちは、もうすでに「音楽」という仕事領域を認識していたのであろうか。宋代の詩人・作曲家である姜白石氏は「白石道人歌曲集」を残しており、しかも宋代の俗字譜が付いているが、文献の記載不備のため確認ができず、その芸術歌曲のメロディが再び蘇ることは叶わない。亡くなった楊蔭劉先生が1947年以前、この楽譜の研究をされたことがあった。どのようにしたら古代の楽譜から、実際の音響を立ち上らせることができるか。そのため先生は古代の詩歌集「詩経」の文学構成を分析し、古代民謡の曲体を調べることもされたが、やはり叶わなかった。
大規模な民間音楽の調査が行われたが、楽譜は発見されなかった。
つまり、中国の音楽学者たちは、「音のない音楽史」を「音のある音楽史」にするべく、本当に長い間努力を重ねてきたのである。
1949年以降になって、ようやく中国の音楽学者たちは大規模な民間音楽の調査を行い、大量の採譜を得ることができた。しかし、それは古代から中華人民共和国初年に至る文字の収集であり、或いは「詩経」から民国初年までに著された民謡集などの歌詞の収集に留まった。この時点では未だ楽譜の再現を見ない。中華人民共和国成立以後、音楽学者は更に規模を広げた民間音楽の調査・研究を行うことが可能となった。勿論日中戦争の頃、陜北解放地区の音楽家たちは現地でたくさんの民謡の記録・採譜を行ったが、全国の民族音楽を全面的に調査するのは、現在不可能とも思えるのである。
北京智化寺の僧達が17世紀の楽譜を使っていることが発見された。
素晴らしい発見は、1950年代になってようやく訪れた。北京智化寺の芸僧たちが、その演奏のために使っている楽譜が1693年の抄本譜で、しかも宋代の俗字譜の体系を採用していることが判ったのであった。この発見こそ、長い間の我々の夢への第一歩であった。
北京の智化寺は、明代の休廷権臣「王振」の家廟であり、しかも智化寺の芸僧は永年にわたって一代相伝の伝承を続けていたのである。我々音楽学者は、彼ら芸僧たちが演奏している1693年楽譜−抄本譜より、更に古代に遡る伝承曲を持っているのは、間違いないと現在では確信している。
智化寺に残された「組曲」の全貌の研究、習得に励んできた。
中央音楽学院民族音楽学科の胡志厚教授を始めとする優れた教師たちは、この6年間にわたって、智化寺に残された「組曲」の全貌について研究し、その習得に励んでこられた。今回彼らがその、第一の「組曲」を演奏し、CDとして発表することは、中国古代音楽研究にとって重大な意義と価値を持つものであり、大きな敬意を表したいと考える。

戻 る